両親の離婚、それから

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私が10歳の時に両親が離婚しました。

母親が夜遅く、父親と口論の挙句、家から出て行こうとしたのでなんとか止め、

理由を話をしてくれることになりました。

 

母親は仕事から帰ってくると酒を飲み、家事もせず子どもたちにも向き合わない父親の態度が嫌になり、

少しでも父親のそばにいることを不快に思うと泣きながら訳を話しました。

 

「お父さんのことが嫌いになったの。」

と母親の口から聞いた時は、そんなことが親の間でありえるのか。と衝撃を受けました。

夫婦というのはお互いに愛し合い、今後の人生を助け合っていくことを誓って結婚したはずだろう?

と思ったからです。

 

ここのところ夜な夜な夫婦の部屋に鍵をかけ、何かを話しあっていることを気づいていた私と2つ上の姉、

離婚にあたっての話し合いだったのだと知りました。

そのことを両親に言うと、「子どもらはわかっとったわけや。」と父親は憎しみをたっぷりと込め、

母親に言い放ったことを覚えています。

 

当時お母さん大好きっ子だった私は、「お母さんが行くなら僕も一緒に行く!」

と内情も知らず必死でわめきました。

しかしそんな私を母親はなだめすかし、

「あんたを連れていくことはできへんの。お母さんな、好きな人ができたんさ」

という言葉は未だに心にはっきりと焼きついています。

 

自分の大好きだった母親がいなくなる、仲良しだと思っていた4人の家族がくずれてしまう、

その恐怖はあの頃の私にとって胸が張り裂けんばかりの出来事でした。

結局母親は家から出て行き、その夜は枕が本当にビショビショになるほど泣きました。

「夢であってくれ、夢であってくれ。」そう願いながら眠りについた私。

 

次の朝目覚めて、やはり昨日の出来事は夢ではなかったのだと知った時、もう一度号泣しました。

父さんは言いました、「これからは3人でがんばっていこう。」

そうは聞いたものの、現実として受け止めたくない私は空返事をしました。

 

それからは、近くに住む祖父母や親戚がかわいそうにと思ってかなんとか気を紛らわそうと、

励ましてくれたりもしてくれました。

嬉しくもある反面、その応援も逆に辛く思うこともありました。

 

学校でも「お母さん」という言葉を人の口から聞く度になんだか虚しいような、嫌な気持ちになりました。

お弁当がいる時は姉が作ってくれたりしました。

しかし、兄弟ゲンカもよくしていたこのころ、少し姉の機嫌を損ねてしまうと

「じゃあもうお弁当はあげへん。」と言われたりもしました。

 

時が経ち、13年間音信不通だった母親とも連絡をとり、会いに行きました。

そして小さい私たちを置いて出て行ったことを何度も謝りました。

その当時のことを思い出して話す母親、向上心のまるでない父親に魅力を感じなくなったのだと。

 

母親は自分自身のためにはこれが最善だったと言います。

私もそうだろうなと思います。

しかしどこかにひっかかりを感じるのも確かです。

 

父親とは、その事件以来「離婚」「母親」について全くといっていいほど触れてきませんでしたが、

先日酒を二人で飲む機会があり、その時に「自分は悪くない、浮気をしたあいつが悪い」

というようなことをほのめかしました。

こちら側でも自分を弁護し、相手側を非難する意見でした。

 

人間は自分のしたことを受け入れて、自分の過ちをできるだけ小さく見せたいものなのかと思いました。

幼心にひどく傷つきもしましたが、現在では両親双方の気持ちを受け入れることができていますし、

許せているとも思います。

まだ続いている問題だとも言えますが、一応の整理はついています。

 

私的には、むしろこの自分の境遇に感謝しています。

同じ境遇の人の気持ちがわかるし、人の性質や本性の理解にも一役買いました。

私自身、結婚はまだしていませんが、死ぬまで寄り添える相手に巡り会いたいです。



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